戦国の花嫁■■■天下人の種20■


あくる日、お義母様の所に行くと、例の、あの、トヨがいた。
殿の、ただ一人の思い人。
この前は、遠目にちらりと見ただけだったが、改めて見てみると、どうだろう?このくらいの器量の女子なら、その辺にごろごろしてないかしら?しかも、器を落としていたりしたし、そう要領の良い方とも思えなかった。
では、何か、見た目からでは分からない、男子を惹き付ける魅力があるのだろうか?
鑑みるに、殿は、一般の男子の範疇には入らないような気が薄々するので、殿限定の魅力かもしれないが。

「あの女子は?」
そんな風に考えた、数秒後、そんな風にして、お義母様に尋ねてしまった自分が情けない。
トヨを気にしたって、何も始まらないのに。
「女子って…トヨの事かしら?あの子は、則房の乳兄弟、経方の妹よ」
お義母様は、さすがに私の思考を把握したわけではなかった。ちょっと不思議そうに、私を見てから、トヨの方を見る。
殿の乳兄弟、の妹。しかし、乳兄弟などと言う方の紹介など受けた記憶はない。経方殿。経方殿…?思い返してみるけれど、やはり、それらしい人物は思い当たらない。けれど、乳兄弟なのだから、それなりに殿のお側にいる方だろうから、きっと、今は、何かの用で、城外の勤めなどをしていて、まだ会った事がないのだろう。
「そうでしたか。ご兄弟揃って屋敷勤めをするとは、当家に縁があるのですね」
「…ああ、そうじゃないの」
「違いましたか?」
「この屋敷にいるのは、今は、トヨだけよ。経方はね、亡くなったの」
「亡くなられた?」
「ええ…あれは、則房の初陣から…そうね、半年ほど経った戦場だったわ。知っているかしら、あなたのお父上が、ウミの深川を攻めたでしょう?」
「はい、覚えております」
「流れ矢に当たったんですって。運が悪かったとしか言いようがないって、皆が一様に口を揃えて言ったわ」
「そうでしたか…流れ矢に」
「でもね、その時、あの子、すぐ側にいたの。本当にすぐ隣に…。それで、あの子、すぐさま、矢の飛んで来た方向を見定めると、素早く、矢を番えて、あっという間に、その敵兵を討ち取ってしまったんですって」
この話は、聞いた事がなかった。流れ矢とか言うし、討ち取った相手は名のある将ではなかったのだろう。
「そうだったんですか。殿は、やはり、弓が得手なのですね」
「そうね。でも、どちらかと言えば得意ってくらいだったのよ、あの頃はまだ。経方を喪ったからこそ、あの子は、弓を自分の拠り所にしたのだと思うの」
「自分の…拠り所」
「戦を終えて帰ってきたあの子の事、とても見ていられなかったわ。少しの事でさえ、涙を流す多感な子なのに、決して、人前では涙を見せなかった。けれど、いつも、眼を真っ赤に腫らして、取り憑かれるようにして、暇さえあれば、いえ、暇がなくても、射場にいたわ。それからして、少したりとも、射場から離れようとしなくなったあの子を見兼ねた輝宗が、無理矢理、弓を取り上げた時には、馬手や弦が真っ赤に染まってた。それくらい、あの子は悔やんでいた」
「ですが、それがあったからこそ、殿はお強くなられたのですよね?」
「そうね。悲しみから抜け出す事ができないんじゃないかと心配したけれど、武士の子ね。次の戦が決まったら、もう違うの。そして、その戦で、名の挙がる武勲を挙げたのだから、あの子にとって、経方の死は無駄じゃなかったって事になるのでしょうね」
「次の戦…?」
ウミの深川の次に、父はどこを攻めただろうか?同じウミの国内だったような。
「ウミの生島よ」
お義母様のその言葉に、はっとする。

ウミの生島。
それは、いつだったか、殿に尋ねた、六町先いた武将を討ち取った、それが行われた戦場だった。
「存じております。弓にて、大変な武勲をあげられたと」
「六町先の武将を、弓で討ち取ったと言う話。全く、物語に出てきそうな武勲譚よね?あなたは、それを信じる?」
「夢のような事と思いましたが、殿に子細を伺った今では、真実と感じております」
「それを聞いて安心したわ。私には、武士の技量など分からないけれど、あの子は、私にとって、誇らしい息子よ。でもね、もうすっかり、吹っ切れたみたいに振る舞っているけれど、命日が近付くと、やはり気が塞ぐみたいなのよね」
「とても大事に思われていたのですね」
「そうね、兄弟同然だったから。生まれてからずっと一緒で、物心が着くと、二人で輝宗を取り合って、そして、トヨが生まれたら、今度は、二人してトヨに掛かりきりになって。いつも一緒、何をするにも二人で…ああ、いやね、昔を懐かしむなんて」
そう言って、お義母様は、複雑そうな表情をして、庭に視線を向けた。
兄弟同然。
私には、そんな風に思える乳兄弟がいない。もちろん、乳兄弟はいるには、いるけれど、男子だったから、幼い内はともかく、物心着く頃には、もう一緒にはいなかった。彼は、私の同腹である兄の乳兄弟のお従兄弟だったから、今は、兄との親交の方が深いと言う話だ。
その兄と言っても、同腹とは言え、性別も違ったし、お義母様の言うような、兄弟同然と言う付き合い方をしてはいなかったので、その表現がピンと来ない。大抵、お母様を挟んで、近況を伝え合うくらいの、近しいような、疎遠なような、何とも言えない距離感だった。
だから、自分の実感としては、分からなかったけれど、私も人並みの情趣は持ち合わせている。いわゆる、岩木ではないから、涙を流さないではいられないと言うような表現が当てはまるようなもの。
戦場とは言え、ある日突然、親しかった乳兄弟を亡くしたら、どんなにか、心が潰れそうな思いをするんだろう。
「あら、話しすぎてしまったかしら?」
物思いから帰ってきたお義母様が、私の様子を窺った。
「いえ…殿の事を知れて、嬉しく思います」
「武士は、命を功名の糧にする者、なんて言うけれど、実際に、見知った者を喪うのは、辛い事よね」
「はい、戦国の定めと割り切るには、人の心は、それほどに強くないのだと思います」
「そうね…私もそう思うわ」

「トヨはね、元々、台所のものなんだけど、則房ったら、何を思ったのか、数日前に私のところにやって来て、理由も言わずに、私のところで使って欲しいって、言い出したのよ」
数日前。…それは、私が、殿に、トヨの事をあれこれと言った前?それとも、後?などと考えるまでもなく、私の発言が起因してるのは間違いない。
私が、トヨに何かするなんて思ったのだろうか?
私は、余呉の娘だ。そんな見苦しい真似などするはずないのに!
一体、私をどんな女子だと思っているんだろう。
いいえ、どんな女子だとも考えてはいないのだろう。だって、興味すらないし、抱く気も起きないのだから。
殿には、トヨしか見えていないのだ。そんな自分の考えに、自分が傷付くのは、不条理な気がする。それに、二兎追ったって、どうしようもないのに、まだ割りきれないようだ。子種が、私の最優先事項なのに、目新しい感情に、完全に陣地を荒らされてる。
「まあ、女子嫌いなあの子にしては珍しく、トヨの事は可愛がっていたから、何か思う事があるんでしょうけど…でもね、経方がいなくなってから、一層トヨを大事にしすぎる傾向があるから」
そこまで言って、お義母様は、慌てたように、私の方を見た。
「いえね、なんて言うのか…経方の分まで、トヨの世話を焼いているって言うのかしらね」
自分ではない人の口から、改めてそう言われると、やっぱりそれが事実なのだと思い知らされる。
何しろ、全然知らなかった私が見ても、分かりすぎるくらい、殿はトヨを大切に思っているのだから。
でも、そんな事、事実確認でしかない。
私は、殿の妻だけれど、殿の思い人になどなるつもりはないのだから、そんな事、気にするべき事ではないのだ。再び鈍く痛む胸に、また不条理さを感じながらも、にこりと笑って見せた。
「気になさらないでください。分かっておりますから。でも、なぜ、殿が、あの女子を気にされるのか分かり、すっきりしました」
「そう?きっと、まだ完全に納得はできていないと思うけれど、トヨはね、則房にとって、決して失いたくないものなの。分かってあげてくれるかしら?」
「はい、もちろんです」
「そう…ありがとう」
お義母様は、ほっとしたように笑みを見せた。
お義父様には、今現在特に親しい御側仕えの女中はおられないようだし、殿の下は全てお義母様の腹の姫ばかり。とは言え、殿の上には、輝宗殿をはじめ幾人かおられる。
お義母様も、お義父様のお心を思い、胸を切なくされたのかしら?

それからも、何か言い直そうとしたお義母様をやんわりと制して、座を辞した。

乳兄弟の妹、か。
親しいはずね。

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