戦国の花嫁■■■無声の慟哭15■


恩地兵衛、殿。
隆綱殿によれば、白河の文物全てを統括している人、との事。
挨拶はしたけれど、会話はまだした事がない。正直、怖そうな人だった。まぁ、屋敷の実態を知り、いかに、兵衛殿が苦心されているのか、伝聞とは言え耳にした今では、もう少しお近付きになれたかもしれないと思うのではあるけれど。
それはさておき、何よりも、妻と言う立場を全うしようと思うなら、どうしても、避けて通れない人なのだと、この二、三日で実感した。だって、誰かに何を尋ねても、最終的には、兵衛殿(三回に一回は、隆綱殿も付け加えられる)に聞いてくれと言われてしまうのだ。どんだけ、兵衛殿頼りなのよ?
隆綱殿は、自分に聞けばいいって言ってくれたけれど、今後、隆綱殿が白河に居ない時だって、当然出てくる。よくは把握してなかったけれど、大谷の配下で一番兵を動かしているのは、隆綱殿ではないかと思うのだ。なら、居てくれている間に、距離を何とか縮めておかないと!

何故だか分からないけれど、誰も使ってなさそうな部屋の欄間に突き刺さってた、何かの証文らしきものを手にして、よし、と立ち上がった。
ホント、この屋敷、叩いて埃は出てこないけど、紙類が異常なくらい、わんさか出てくるから、きっと、話し掛ける機会だけは、事欠くことはなさそうだ。

尋ね歩いて、ようやく、兵衛殿は、若竹のところにいるらしい事を知る。なんと、兵衛殿は、若竹のお目附だったのだ。何から何までこなす職人文官って事?事務的に対応されたら、取り付く島がないなぁ。どうしたら、いいんだろ?
うーん、この証文は、他の人に聞いてもわかるものかもしれない。こんなものの事で、一々尋ねてくるなと言われたらどうしよう。とりあえず、誰かに聞いて、分かんなかったら、それから、兵衛殿に聞く事にしようかな。話すのは、また今度でもいいかもしれない、と、段々と重たくなる足取りだったけれど、もうすでに若竹の部屋が見えてしまっているから、腹を括るしかない。いつまでも、隆綱殿にばかり聞くわけにいかないんだから。
戸が開けられていたので、気配を悟られないぎりぎりのところで立ち止まり、中の様子に耳をそばだてる。
すーぅこ、すーぅこ、って、聞こえてくるんだけど。規則正しい呼吸…の音、だよね、これ?若竹は、何を飼ってるの?かなり大きそう。

好奇心に動かされ、覗き込んだ私の陰が見えたんだろう、書き物をしてた若竹がすぐさま顔を上げる。あっ、て顔をして、それから、しーって、人差し指を立てる。私がじっとしてる事を確認してから、そろりと立ち上がって、差し足の一歩を注意深く踏み出そうとした、その時、一定の拍を刻んでいた、すーぅこの音が止んだ。
「坊、まだ終わっとらんぞ」
「あ、起きちゃった」
「わしゃ、寝とらんぞ。寝たと見せかけて、坊を油断させようとしただけの事。全く、おんしの父を見習え、日のある内は、書物にかじりついて離れなんだぞ」
「そんで、日が暮れると、武術の稽古を疲れて寝てしまうまで、ずっとやってたんでしょ?」
「わかっとるじゃないか。ほれ、さっさと座って、やらんか」
「でもさ、お姫様が来たんだもん。恩地のおっちゃんが、気付かないから、僕、仕方なく、立ったんだよ?」
へへん、と笑う若竹。兵衛殿は、顔を真っ赤にした。
「何を言うか!でたらめ言う奴は、仕置きをせにゃならんか!その舌、閻魔さまが抜く前に、わしが抜いたるぞ!」
「嘘じゃないって、ホントなの!ねぇ、お姫様」
「まだ言うか、居んさるわけ…あ」
くるりと振り返った兵衛殿の顔から、一気に血の気が引いていくのが、よく見てとれる。
「兵衛殿、こんにちは。聞いたら、ここだと伺ったので」
とりあえず、色々すっ飛ばして、さっきまで練りに練ってた第一声を口にする。兵衛殿も驚いてるか知らないけど、こっちだって、こんな場面は想定してない。一応、予定通り、にこりと笑ってみるけれど、兵衛殿は、口をぱくぱくするだけ。
見られたくなかったのかな?
「お忙しかったですか?後で出直しますね」
「いや、そのような!姫、どうされた?わしに、何ぞ用がおありで?」
本当に慌てて、困った様子だから、こっちも悪い事をした気になる。初めの印象より、つっけんどんな感じじゃないけど、さっきの怒声は、怖かった。あんな風に怒られたら、泣くな。
僅かばかり躊躇って、でも、これなんですけど、とそう言って、私は、件の証文を差し出した。それだけで、兵衛殿も、私の用向きを理解したのか(何しろ、私が屋敷を荒らしまくっている事は、白河では知らぬものはないのだ)、すっと事務的な顔になって、証文を手に取る。
「おぉ、これか。二年ほど、ない、ないと思っとんたが…」
「お探しのものでしたか?」
「えぇ、えぇ。ありがとうございます。これで、一件片付きそうですわい」
「それは、良かったです。西の棟の、中程の部屋の欄間に突っ込ん…えと、引っ掛かってたので、誰か見つからないように隠してたのかとも思ったんですけれど」
「中程の部屋とな?!それは、奥から二つ目かの?」
「えーと…この部屋です」
もう必需品になっている、隆綱殿筆の白河屋敷俯瞰図を広げて、指し示すと、兵衛殿は、ぁああっと唸った。
「なんとな!まだあそこに、ものが残っていたとな。欄間に…?」
「松の枝の彫り物に、こんな感じで」
本当にそんなとこにあったのかと言う表情をするのめ、手を松に見立てて、さきほど見たままに、地図の紙を挟み込む。
「よっくぞ、見つけてくれた。あの部屋は、何年か前に、殿が使っとったから、よく目を凝らしてはいたんだがのぅ。末期は、這い上がって中に入らんけりゃならんかったから、そりゃ、欄間にも手が届いたろうて。しかし、あんの鼻垂れが!」
えー、何その惨状。衝撃過ぎて、笑うしかできないなぁ。でも、なんであんな高いとこにあったのか、納得。いや、だからって、どうして、届くからって、あえて、そうしたのかは、理解できないけど。
「鼻垂れって、誰?」
そこで、一人だけ付いてけてないって表情の若竹が、疑問を口にする。
「誰って、ちち」
「いや、鼻垂れは、鼻垂れよ。昔、そう言う奴がおったんじゃ」
私が口を開くと、すぐさま兵衛殿が重ねてくる。その表情を見ると、慌てた様子だったから、首を傾げる。なんで、濁すんだろ?
「ふうん。その人、父上の側にいた人なの?」
「そうさな。まぁ、昔の話じゃわ。坊は、ほれ、続きをせんか。夜になるじゃろが」
「えー、ならないよ」
「無駄口をたたくな!早よせんか」
はーい、と若竹は、また机に向かう。
なんか、おじいちゃんと孫みたい、とか思ったら、思わず笑いが出てしまった。ぎょっと、兵衛殿が、こっちを見る。やばい、怒られる?
「お姫様も、おかしかったの?ふふ、恩地のおっちゃんって、おかしいよね」
くつくつと、若竹が、遠慮なしに笑ってくれる。
若竹くん、若竹くん。火に油を注ぐって、諺、知ってるかな?
「えと、その、そう言う事ではなく…ただ、本当のおじいさんとお孫さんみたいだなって、そう思っただけです。決して、兵衛殿の事を笑ったのではなくて」
「なるほどのぉ。そうじゃな、まあ、孫みたいなもんじゃわな」
「えー、恩地のおっちゃんが、じーちゃんなの?」
「みたいなもん、と言っとろうが。忙しかった先代に代わり、殿の面倒はわしがみてきたようなもんだからの。その倅の坊は、孫みたいなもんかもしれんな」
「隆綱殿のお目附もされてたんですか?」
「なぁに一つ言う事を聞かん小僧だったがの。まぁ、何でも自分でやってしまうから、手もかからんかったが」
そう言って、兵衛殿は若竹を思わせ振りに睨め付けるけれど、純真な若竹には通じないらしい。むしろ、何でも自分で…の下りに感激して、やっぱ父上はすっごいなぁと邪気なく笑うから、兵衛殿も毒が抜けてしまう。

こうして何とか、兵衛殿とはお近付きになれたようで、ほっとした。


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