戦国の花嫁■■■無声の慟哭23■


「さて、何の話をしましょうか?」
そうなんだよね、何の話をするればいいのかしら?夫婦で分かり合うためって、具体的に、何?
生い立ち…は、大体お互い知ってるよね?隆綱殿は、私が大谷に来るより前から、大谷にいるわけで、それこそ、私が来てからの事も、ある程度知ってるだろうし。私も、隆綱殿の武勲や奥方様の事は耳にしてたし、白河に来る前だって話した事もあるし。全くの初対面ってわけじゃないしなぁ。
なら、もっと個人的な事を話す…?
そこで、ふっと思う。親兼の事を話さないで、今の私を理解してもらえるのだろうか、と。それが全てではないけれど、どうしたってぼやけた話ししかできなくなる。きっと隆綱殿の方でも、違和感を感じるだろう。けれど、尋ねては来ないと思う。気付かないんじゃなく、言わない。だって、隆綱殿が気付かないわけないもの。でも、その上で、私が話したくないって判断をして、私から話すのを待ってくれる。そんな気がする。
でも、私、言えるのかな?
ううん、言いたくない。言えない。言えるわけないよ。前は、言ったとしても、自己擁護にしか取ってもらえないって思ったからだったけれど。今は、隆綱殿はそんな風に私を疑ったりなんてしないって思えるようになった。けど、それでも、言える気がしない。
あんなおぞましい事、口になんてできない。
「どうされましたか?」
隆綱殿の声に、はっと我に返る。心配そうな瞳の奥に、何もかもを受け止めてくれるだろう力強さを感じる。信じられるのに、頼れない。それが、辛い。
「そのように深刻に受け止めずとも。なんでもない、いつもの夜に、ただ話をするだけですよ」
「そうですよね…ちょっと緊張してしまって。あ!そう言えば、隆綱殿って、本当に、色んな書を読んでるんですね」
脈絡なく、私が話を変えたので、当然、うん?って顔が返される。
私の過去について、今は言えないし、聞かれない。だったら、あんな空気、お互い気まずいだけだから。さっさと話を変えてしまった方がいい。
だから、多少強引でも、素知らぬ顔をして、若竹と一緒に、書庫に行った話を続けた。それに、ああ、そう言う事かと納得し、何も突っ込まない隆綱殿は、本当に大人だと思う。
「質はともかく、量だけなら、そこら辺の家には劣らないと思いますよ」
「はい。大谷の屋敷は、もともと、キビでも多いので有名だって聞いてましたけど、まさか白河にもこんなにあるなんて思ってなくて、びっくりしました」
「実を言うと、あの蔵書の大半は、私の祖父が集めたものなんですよ」
「隆綱殿のお祖父様…と言うと、白河で、大谷に初めて仕えた方ですか?」
「そうです、よくご存じですね。祖父は、瀬戸の海を寝床にして、主に、唐物を含めた、西国からの荷の取引で、財を成した人だったんですけどね。荷の中に、見た事のない書があると、必ず自分で写本を作ってから、畿内の商人に売り付けるくらいで」
「え?ご自分で写されたんですか…全部を?」
「えぇ。他の人が写すと、脱行されて書の体をなさなくなるからって」
「だつぎょう?」
「脱字じゃなくて、行がね、すっぽりと抜けて書き写されてしまうんですよ。これが、故意でないのなら諦めようもあったんでしょうけど、意図的にされる事もあったみたいで。なら、自分でやるしかないと思い至ったようですよ」
「意図的にって…わざと飛ばしたって事ですか?」
「えぇ。能書家ならまだしも、風や日を見る船乗りが、ひたすら意味の分からない文字を写させられたら、苦行でしょう?まぁ、それで極楽往生できるなら、救いがあったのかもしれませんけど…ほとんど外典ですからね、どうしたって手を抜きたくなってしまった、と」
「それなら…なんとなくですけど、そうしたくなる気持ち、分かります」
確かに、仮名の物語なら、楽しみながら写せるだろうけれど、白河の書庫には、一見しただけでは、何について書かれた本かすら分からないようなものもあったので、それを写す事を想像して、気が遠くなる。私も、故意かどうかは分からないけれど、脱行する側だなと思う。
「うん?そうですか?姫は、あまり読まれませんか?若竹が、曽我物語を話してくれたと言ってましたが」
「殿方の読むような難しい本は読めませんよ。それに、どちらかと言えば、読むのが専門です。写すより、言って覚える方が好きと言うか…」
居候の手前、墨やら紙やらを無尽蔵に使うのは憚られた、とは恥ずかしくて言えなかった。
「では、私にも、何か語ってはくれませんか?」
「へ?」
「姫の語り口が、とても上手いと若竹が褒めていたので、是非拝聴したいなと」
「まさか!若竹は、優しいから、そう言ってくれるだけで、あの、隆綱殿にお聞かせできるような、そんな力量なんて…」
「あれは、心根の優しい子ですが、意外と公平に物事を判断できるんですよ。私にわざわざ報せに来るくらいなのだから、本当にそう思ったのでしょう」
「あ…ですが」
「できるなら、私の知らない話がいいですね」
私、やります、なんて言ってないのに、やる方向で話を進めていく隆綱殿に、どう言えばいいのか戸惑うしかない。普段の優しい物腰とは裏腹に、こんな風に軽い話の時は、意外と強引なんだ。
まぁ、このぐしゃぐしゃな夜具の上じゃ、もので溢れ返るあの部屋と同じように、隆綱殿の陣地同然、思うがままに、私は揉み潰されるしかないのかもしれなかった。そんな風にして、自分の意思とは全然違うように物事が進んでいくのに、嫌悪感や回避したい気持ちが生まれない。…本当に、隆綱殿って、不思議な人。

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