戦国の花嫁■■■無声の慟哭24■


それにしたって、若竹くらいの小さな子相手ならまだしも、隆綱殿みたいな立派な大人に話すなんて…いくらなんでも、それほど口は回らないよ?まして、隆綱殿はどう考えたって、私より読書家だし。そんな人に、もっともらしく語ったって、陳腐にしか聞こえないに決まってるじゃない。そもそも、私が知ってて、隆綱殿の知らない話なんてある?
「そうだ。近頃の若い娘さんは、どんな話を読むんですか?そう言ったものには、なかなか手が伸びないので、一つも知りませんし。そう言ったもので、何か語れますか?」
「は?…いや、でも、隆綱殿が興味のあるものは、ないと思いますけど?」
「大丈夫ですよ。書物に関しては、私、相当の悪食ですから」
自信有り気に、にっこり笑われてしまっては、さすがに断る言葉がない。
隆綱殿は、夜はすぐ寝ちゃう人だし、つまらなければ、寝てしまうだろう。そしたら、二度はないはずだ。ただ一度だけ、恥を忍べば、いい。そんなやけっぱちな事を考える。多少拙くったって、気にする事はない。 全ては、皆、この調わない夜具のせい。そう思う事にする。
「…あの、でしたら、京物がいいですか?武者物がいいですか?」
「女子向けの話だと、京物になりますか?」
「いえ、両方とも、女子向けです。主人公…と言うより、思いを寄せる殿方の身分によって、分けるんです。他にも、唐物とか、墨染とか、色々あるんですけど、私がちゃんと話せるのがなくて」
「へぇ、知りませんでした。京物と武者物、それに、唐物、墨染か。女子ならではの使い方ですね。姫は、やはり、武家ですから、武者物がお好きなんですか?」
「えっ!!わた、私、ですか?」
突然、趣味趣向を暴かれてそうになり、後ろめたい読書歴はほぼないけど、どぎまぎする。まさか、行李の底に隠してる読み物を語れとか言うつもりですか?と言うか、そもそも、そんな事知って、どうするんですか?何が好きとか、そんな個人的な事、探らないで欲しい。
いや、これこそ、まさに個人的な事だよ。こんな事を、夫婦として分かり合うためには、話さなくちゃならないの?…、…無理だ。この件に関しては、もう少し理解が深まってから、暴露する事にしよう。
しかし、なんて言うか…やはり、あれだけ溜め込んでなお、個人的な私物はないと公言するだけあって、かなり開けっ広げな人なんだな。何を見られても構わないんだ。気にならないんだ。だからこそ、私に何の気なく尋ねてこれるよね。
まずは、そんな人間性の違いについて知れたって事で、よしにしよう。それじゃ、相互理解じゃないけど、仕方ないよね。
「あー、その…どっちと言うわけでもないですよ。身分だけじゃなくて、話の展開によっても、面白さって変わると思いますし」
しどろもどろな玉虫色の返答に、隆綱殿は、確かにそうですね、と頷いてくれる。ほんとに、本が好きなんだな。すごく生き生きしてる気がする。
「隆綱殿は、どう言う読み物が好きなんですか?」
「うーん…荘子関連の本を、一頃はかなり躍起になって集めましたけれど…いや、過去形ではないかな。ほんの半年ほど前にも、エツの国へ人を遣りましたから」
「そぅ…掃除、関連の本ですか?」
「いやいや。そうし、です。姫風に言うのなら、唐物になるんですかね。震旦の思想書…と言うのかな?」
なんと!そうし、と、そうじ、の聞き間違い。
私の無知に加えて、隆綱殿すなわち片付けられない人と言う認識のなせる聞き間違い。まさか、隆綱殿の口から、掃除なんて言葉が出て来るなんて!と思ったけれど、早とちりすぎた。そりゃ、そうよね、そんなもの読みふけったって、直りそうにないもの。どう見たって、直そうなんて思ってないし。ダメな部分とすら思ってないし。
…おっと、ごめんなさい、失言でした。
ところで、そうし、ってどんな字書くの?震旦って言うんだから、漢字?…そうしって、草紙?んなわけないか。思想書なんて堅苦しそうな単語とは真逆だし。隆綱殿みたいな人が、軽い読み物を重点的に集めるとかするわけないし?そもそも、思想書って、何?とか、疑問は尽きないけれど、これ以上は果てしない深みにはまりそう。
とても軽快に話すから、あわよくば、隆綱殿を語り手にしてしまおうと思ったんだけど、ソウシなる思想書を語られても、即眠る自信しかない。さすがに、そんな失礼な事はできないしな。
「きっと、私じゃ理解できないような難しい本なんですね」
「うーん…まぁ、万人受けする類いの本ではないかもしれませんね。実際、倭語の註釈書は少ないですから、人気がないのでしょう。近頃、思想と言えば、朱子を初めとした宋学でしょうし」
「あ、朱子なら聞いた事あります。朱子も思想書なんですか?私、指南や作法の本だと思ってました」
「そう言う一面もありますね。思想についても語っていると言ったところでしょうか?」
何それ、何の本なの?さらに、混沌とするんですけど。
朱子の事さえよく知らない私には、漠然としすぎて、やはり思想の何たるかは分かりそうもない。思想と作法…?共通項のあるような、ないような?全くないって事はないだろうけど、そんなの一度にまとめて学べるのかな?
…まぁ、いいや。女子の知らなくていい事だと逃げよう。
そんなヘタれた表情を見た隆綱殿は、おかしそうに笑った。
「少なくとも、若い娘さんの好まれる話ではなさそうですから、荘子の話は、これくらいにしておきましょうか?」
「あの…すいません」
「お気になさらずとも。姫に限った事じゃなく、荘子の事は、白河…と言うより、大谷やキビにだって、話し相手になってはくれる人は誰一人としていませんから」
えー。何、その情報。そうしって、一体どんなにえげつない本なの?キビにいないなら、どこにいるの?さっきちらっと話に出たエツのどこかにはいるんだろうか?元、震旦の本なら、震旦の人には一般的な読み物なんだろうか?いや、そもそも、鬼神しか、その面白さが分からない、とか?
方向違いにも、なんだか、隆綱殿は、とても孤独なんじゃないかって気がしてくる。
「あのっ、今日はちょっとあれですけど…また、いつかの夜に、そうしのお話、聞かせてください!」
そんな私の言葉は、予想外だったんだろう。目を丸くして、一点を見つめたままになったから、きっと意味の真意を考えてるんだろう。私だって、その説明を求められても、上手く言えそうにないからな。
「でも、私なんかに話しても、無意味かも知んないですけど」
「そんな事はありませんよ。ありがとうございます。では、もし、いつかの夜に、姫の気が向いたなら、耳を傾けてください」
「はい」
「さて…考えてみたのですけど、私は特にこれと言って、物語の好みもないので、姫のお薦めを聞かせてくれませんか?」
あー…。やっぱり、それは、決定事項なのね。
まぁ、別にいいか。減るもんでもないし。
「では、僭越ながら…」

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