戦国の花嫁■■■無声の慟哭25■


全然寝る気配のない隆綱殿に、初めは戸惑いを感じてたはずなのに、反応よく聞いてくれるから、どうした事か、こちらも段々と楽しくなってきて、気分はまるで、一端の語り部のよう。
「…宮家は、その時、初めて感情を顕し、さめざめと涙を流したのでした。あっ…」
これから、と言うところに差し掛かった、その時、油を足さないでいた灯明が、じじっと音を立てて、消えた。
嘘、そんなに時間が経ってた?消えかかってたなんて気付かないくらい、話すのに熱中してたと自覚して、真っ暗の中、夢から覚めたような感じがして、少し気恥ずかしくなる。
続く沈黙は、ようやく解放されたと言う安堵…?
そんな事を考えながら、隆綱殿の様子を窺っていると、ごそりと動く気配がする。寝返りを打った、と言うよりか、起き上がった。そんな感じだったから、訝る。さらには、もう一度火をおこそうとしてる感じでもない。
「なんとも、狙いを澄ましたかのような消え方でしたね。まるで、姫が緻密に編んだ演出のようです」
「そんな…偶然ですよ」
「生憎、今夜は月の入りが早いから、宮家の見上げた空ではないですけどね」
かたん、と明かり障子の開かれる音がする。
どうやら、隆綱殿は、まだ目も闇に馴染んでない内に、真っ暗の中、そこまで行ったらしかった。
隆綱殿の言う通り、今夜は月明かりが望めないようではあったけれど、それでも、部屋の内よりかは暗くないらしく、数多の星明かりなんだろうか、開けられた戸の隙間から、明かりとも言いかねる光らしきものが、ほわっと部屋に入り込んできて、隆綱殿の影を真っ黒く浮かび上がらせる。
「月のあるないなど、夜襲の段取りなどで気にはしますけど…なるほど、確かに、京物らしい雅さがありますね」
「はい。女子の向けの軽い草紙なんですけど、斎院関連の行事とか建物のとかの誂えの描写が妙に細かくて、それこそ、話の筋を忘れちゃうくらい文字を割いてるくらいで…だから、作り手は、斎院に出仕してたんじゃないかって言われてるんです」
空を見上げるような形だった隆綱殿の影が、こちらに振り向く形に変わる。
「斎院…と言うと、これから出てくるのでしょうか?」
「あ、斎院は出てこないんですけど、宮家の暮らしぶりがそれらしいんですよ。でも、そこは、詳しすぎて、何について話してるのか分からないから、覚えにくくて…」
そこまで口にして、私は、重大な事実に気付かされたが、時すでに遅し。どうにも言いつくろえそうにない。
「姫?」
「えと…その、脱行しました」
難しい本なら、脱行したくなる気持ち、分かるなー。
とか想像するではなく、私はすでに脱行をしてたのだ。しかも、仮名手…。さっきの発言、取り消したい。
「なるほど。それが、脱行の経緯の真相と言うわけですね」
「う…はい。そんな感じです」
「姫の場合、語りとしてですから、脱行とも、また違うんじゃないかとは思いますけど…ふむ、脱行したいと言う気持ちでは、似たとこなんでしょうね」
またしても、考えるように、ゆっくりとそう言われて、びっくりする。
たかが、私の脱行暗記に、そんなじっくり考察は必要でしょうか?…恥が増殖するから、やめて欲しい。
「素敵な語りをどうもありがとうございました。楽しむままに、長く話させてしまったようで、すいません。続きは、また後日聞かせてくださいますか?」
「え、後日?」
「このまま続けたいですか?あまり話しすぎると、喉によくないと思うのですが」
「そうですね…はい。じゃあ、また後日に」
「えぇ。楽しみにしてます」
話を聞いていたら、少しばかり調べものがしたくなったので、先に寝ててください、と続けて、隆綱殿は出て行った。


二度はないと思ってたのに…。
どうして、こうなった!?



元はと言えば、歳上ぶって、若竹に曽我物語を聞かせたのが、運の尽きだったのかもしれない。私が、迂闊だった。それは、認めよう。でもさ、若竹くん、なんで父上に話しちゃうかな?
いや、若竹は、何も悪くなんてないよ?むしろ、私の事自慢したくて、話したんだろうから。きっと、小走りに父上のところに駆け寄って、こんな風に言ったに違いない。
お姫様の曽我物語を聞いたんだけど、すごく面白かったよ。また聞かせてもらうんだ!
って感じでね。それも、でれでれしちゃいそうな可愛い表情付きでさ。それ、私も見たかったのに!…それは、おいといて。
そこまでは、納得した。どっちかと言うと、何も不自然な流れじゃない。
私が、稚児に物語を聞かせるのも、それを聞いた若竹が、物珍しさに親に話すのも。どこにだってある、極普通の日常よね。
そこから、私が夜説ぎする事に、どこがどうなって繋がると言うんだろう?
普通人なら、どれ一つ、私も聞いてみようかな?なんて思わないし。だって、稚児って言うのは、何にでも素直に感心するものだもの。
たった一つ、隆綱殿を経由しただけだよね?
ぁああ!もう!

何だろう、ただもう、誰かにこの思いを聞いて欲しかった。
…若竹には言えないしなぁ。


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「と言うわけなんです」
「なるほどのぉ」
白いものが混じった下髭をくるりくるりと指で玩びながら、私の話を聞いて、兵衛殿は頷く。
「だからって、兵衛殿にどうして欲しいってわけでもないんです。なんか、こう、もやもやして…」
「ほっほっ。分かっておりますわい。あの鼻垂れは、一度口にしたら最後、納得いくまでやらんと収まらん性分だで…さぞ姫も困ったでしょうな」
「そうなんです、困ったんです」
そう。怒れるとか、呆れるとかとは違う。まさしく、困った、その感情がしっくりくると思った。初めは、断りたいと思ってたのに、何が何だか分からないままに始めさせられて、知らない間に、次もある事になっちゃって。なんで?!って、困ったのだ。
「でも、その…加えて、次もと言われても、それほど嫌じゃなくなってるってところが、少し悔しいと言うか、自分でもびっくりすると言うか」
「あの鼻垂れは、生まれながらの将だでな、人心を掴むのはそりゃお手のもんよ。だから、その気にさすのも上手いんじゃて」
「つまり、私、のせられたって事なんでしょうか?」
「意味のない世辞は言わんやつだからの。しかし、だとして、その先に何があるって事ったが…のぅ?」
「その先、ですか?」
「のせようと思うのは、ただ素直に感心したって事ではなく、打算が混じるからとも取れる。何十手も先を考え、その布石になるようにと、あれこれ手を捏ねるわけじゃろ?あの鼻垂れ策士は、姫に何をさせたいんだと思ってな」
ぴん、と指先で髭を跳ね上げると、兵衛殿は意味あり気な視線を私に向けた。

私をのせたのは、隆綱殿が、私に何かをさせたいがため…?

どくん、と一つ心臓が跳ねた。

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