戦国の花嫁■■■無声の慟哭44■


あと、五歩、四歩…。
もう見てられなくて、閉じようとした視界の隅から、何かがすっと動いたと思ったら、ごっと言う音と共に、親兼が吹っ飛ぶ。そして、そのまま、まるで、坂を転がる石のように、ごろごろと親兼の体が転がっていった。
転がっていく親兼の方に、隆綱殿が、まっすぐ右足を突き出していたから、つまり、そういう事なんだろう。
なんて人なんだろう。私じゃ、手も足も出なかった親兼を、二度も簡単に捌いてしまうなんて。
ただ力に任せて腕を振るんじゃない、本当の戦い方を知ってるんだと思った。歴戦の将。キビの鬼才。私は、今それを目の当たりにしていた。
「全く。一体、何を考えてるのですか?人に手をあげた事もないでしょうに」
隆綱殿は、足を下ろすと、やはりいつもと変わらない表情をして、苦笑した。
「私が招いた種だから…」
私が死ぬ。それだけで済むなら、それでもいいと思った。親兼がそれで気が済むなら、それでいい。それが、償いだと思った。
親兼は、ぴくりとも動かない。さっきみたく痛みに耐えてるわけでもなく、苦悶してるでもなく、天を仰ぐようにして、四肢をあちこちに広げ、体を投げ出している。
「死んで…しまったの?」
「まさか。ただ蹴飛ばしただけで、命を奪えるほど、私は怪力でも、達人でもありませんよ。とは言え、加減はしませんでしたけれどね」
軽くそう言うと、心配などと言う感情とはほど遠い顔をして、肩を竦めて見せる。
それでも、動かない親兼。死んではないか知れないけれど、動けないような怪我はしてるかも知れない。安否を確かめようと、歩き出した私の腕を、隆綱殿が掴む。
「たとえ、動かなくなっても、逆上した者の側には、近寄るものではありません」
「でも…」
ぐ、ごほっ、ごほっと親兼が咳き込む。
「親兼!」
隆綱殿の手を振り払って、親兼の許に駆け寄る。
地面を転げたせいなのだろう、服や体は土まみれ、顔や腕には所々かすり傷がある、あまりにも痛々しい。顰められた表情に、涙が零れる。
「大丈夫?痛むの?」
「触るな!」
まさか喋られるとは思ってなかったので、びくりと体を震わす。首をこちらに向けると、痛みからなのか、ひどく辛そうな瞳にかち合う。
「お前の心に、俺はいないんだな」
「親兼…」
「女のくせに、なんで、刀を恐れないんだよ。逃げろよ。わざわざ盾になりに出てくるなんて。武士を庇うとか、お前アホか。そこまでして、隆綱を守るとか、どんな挺身者だよ」
「そうじゃな…ううん」
隆綱殿にこれ以上迷惑をかけたくなかったのも、本当だけれど、あの時は親兼の事で頭がいっぱいだった。でも、親兼のためになるなら、親兼の気が済むなら、どうなっても構わないって思った気持ちを伝えるのは、私の罪を思うと、あまりにも偽善的過ぎる気がしたから、口をつぐむ。
「多分、俺も一緒だった」
「え?」
「お前は、本当の俺の気持ちに気付いてたけど、気付かないをふりしてたって。同じように、俺も、お前が俺と同じ気持ちじゃないんだって、ホントは分かってたんだ」
咳き込むと、苦しそうに、短い呼吸を繰り返す。
「お前の心に、俺がいないんだって思わされる度に、お前に辛く当たってた。力ずくでも、一時でも、お前を支配すれば、その時だけは、お前は俺の物だって思えたから。でも、そんな事したって、いや、そんな事をすればするほど、お前が離れてくんだって、どうしても認められなかった」
「親兼、もういい…もう分かった。ごめん、本当にごめんなさい」
「謝るな。俺も、謝らない。やり方が間違ってたかもしれないけど、俺は後悔しない。俺にできる精一杯だったって、そう言えるから」
結局、親兼に救われてる。
初めから、すれ違ってた。それに気付けていれば、こんなにお互いを傷付け合って、ここまで辛い別れにならずに済んだのかもしれない。
「そうだね」
そうして、ふっと笑った親兼は、出会った頃の、親兼の笑顔だった。
懐かしい思い出。もう戻れない時。謝ったり、償う事もないし、きっと癒える事もない心。それに浸る。


「こは、一体何事か」
はっと現実に連れ戻される。
振り返ると、数人がこちらを見ていた。先ほど、隆綱殿を弾劾した方たちだった。あれほどの事をしてたのだから、近くにいれば気付くと言うもの。
幸いな事に、親兼の父、小野殿はいないようだったけれど、だからと言って、理もなく、城内で乱闘など、どう申し開きをする?
背に嫌な汗が流れる。
「二人は、幼馴染みとか。どうやら、親兼殿は、姫に恋慕を寄せていたようで」
隆綱殿の発言に驚く。
何を言うつもりなの?そんな事言ったら、親兼の身はどうなってしまう?隆綱殿は、親兼に何の情も持っていないのだ。人身御供に差し出したって、なんの呵責にもなりはしないのだと思い至る。
着衣が乱れ、満身創痍なのは、親兼のみ。地面に転がるのは、親兼の刀。どう考えても、取り繕えない状況だった。
私にだって非があるけれど、私はもう大谷の養女なのだ。言いようによっては、親兼だけを悪者にできてしまう。
「隆…」
「武家の婚儀に何を言えるものではないですが、そこは若さなのでしょうね。姫を心配するあまり、私に一言告げておきたかったみたいで。自分より強い男しか、夫と認めないと言うものですから。城内ではありますが、一つ手合わせをと言う事になりまして」
その言葉に、隆綱殿の意を感じ取る。親兼を矢面に立たせる気はないのだと。
「では、なぜ、抜き身があると言うのだ」
親兼の刀に、鋭く指を指し示される。ただ手合わせするだけなら、そんなものは必要ない。動かぬ証拠だった。
「申し上げましたように、親兼殿はまだまだお若い。私にも身に覚えがありますが、軽い気持ちで始めた遊びが、いつの間にか本気の喧嘩になるのは、そう珍しいものではないでしょう?まして、姫を思う気持ちがあるのです。それで、つい、抜刀してしまった…ただそれだけの事で、貴兄らの心配されるような事は何もありません」
「親兼、それは本当か?」
「それは…」
親兼は、言い淀んだ。
そんな事したら、勘繰られてしまう。そしたら、親兼は、謹慎だけでは済まないかもしれない。隆綱殿だって、責めを負わせられるかもしれない。
「本当です。親兼は、私の事を心配して、それで…。全て、私が見ていました。隆綱殿の言う事に、誤りありません。その後、親兼と話し合って、ちゃんと納得してもらいました。だから、ご安心くださいませ」
「そうですか。仲裁上手の姫が、そう仰るのなら、一件落着と言う事でしょうな」
「何せ、伸びるままに荒れた我々の心さえ、見事に矯めてみせてくださったのですからね」
一同に、笑いが起きる。
良かった。この人たちは、心の底から、隆綱殿を嫌ってた人たちじゃない。本当に、小野殿がいなくて良かった。
一難去って、またと続く、窮地に疲れ、ほっと息を吐くと、途端に気が抜けて、ふらつく。側にいた隆綱殿が、慣れた仕種で、支えてくれる。その様子に、彼らも気付き、驚く。
「姫、大丈夫ですか?」
「いかがされました?」
「腹のやや子が驚かれたか?」
腹の…。そうだった、私は孕んでる事になってたのだと思い出す。腹に子のいる娘は、こう言う時どうなるんだろ?どう振る舞えば、不自然に思われない?そこまで考えてなかったから、頭が真っ白になる。
どうしよう。嘘がバレたら。折角、丸く纏まったのに。
「このように気丈に振る舞われていますが、うら若い娘さんに変わりありません。私と親兼殿の争いは、姫には刺激の強いものだったのでしょう。ひどく動揺されておられるようです。子の事もあります、申し訳ありませんが、退出しても、よろしいでしょうか?」
さっきと同様、顔色一つ変えず、声も震える事なく、真実ではない事を、堂々と言ってのける隆綱殿に助けられる。あまりにも普通過ぎて、私の中の動揺が一気に消える。
なんだろう?亀の甲よりも年の功?修羅場を越えた回数の違い?もともとの胆の大きさ?鬼神だから、に尽きるかも。
一日にそう何度も、嘘八百を捲し立てられるほどの神経を、自分が持ち合わせてないって事だけは、はっきりと分かった。やっぱり、隆綱殿とは人種が違うわ。
「うむ、そうだな。早く姫を安心できる場所にお移しするがいい」
「はっ。また近々、御前に拝そうと思います。それでは、貴兄方。御免」
すっと何気ない動きで、隆綱殿の腕が私を抱き上げる。
「もう大丈夫ですよ」
静かに、耳元で囁かれた言葉に、ほっと息を吐いた。

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