深窓の姫宮■■■11■


会いたい。
そう思うのは、愚かで、自分勝手なことだとわかっている。

良人さまは、もう私のことなど忘れているかもしれない。
だとしても、最後に一度だけでもいい。
会って、私の思いを伝えたい。
的はずれで、今さらだと言われても、構わない。

その夜の事。

溢れて、渇くことを知らない涙に、袖を濡らし、眠ることなく、ただ良人さまを思っていた。
文はもう春宮さまに届いただろうか?
あの文の中にしたためたもう一通の文を渡してくれるだろうか?
もっと良い方法があったのではないだろうか、と胸は急くばかりだった。
でも、他に思い浮かばなかった。
春宮さまと私は、親しい間柄でもない。良人さまがお仕えしている方とは言え、私が、彼を頼みにするとは、思われないはず。
同じ日に出された三通の手紙は、どれも不自然には思われない。
例え、春宮さまが疑われても、書かれているのは、挨拶でしかないので、誰も、それ以上の追求はできないはず。
伊勢に行くことが決まってから、忙しくなったのか、なつはあまりこちらには来なくなったし、他の女房たちも、あれこれと忙しくしているようで、私の側に人があまりいない。
泣いてばかりいる私は、皆にはどう扱えば良いのかわからないらしく、敬遠されているのも、一因だ。
だから、特に、夜になると、前のように、私は一人きりになる。

潤んだ視界に、御簾越しの月が輝いている。
月のある夜は、良人さまが来ない。
そんな風に思うだけで、また涙が出た。

だから、玉砂利を踏みしめる音は、ただの空耳だと思った。
だって、こんな明るい月の夜に、良人さまが来るはずはない。
でも、手紙を受け取って、それで、駆けつけてくれたとしたら?そんな淡い期待が、胸を熱くする。
もう一度聞こえる、玉砂利の音。
一歩、一歩、私に近づく足音。
それでも、声が出なかった。
名前を呼んで、もし、違ったら?
そんな事、想像するだけで、悲しくて、寂しくて、どうにかなりそうだった。

無言のまま、御簾の向こうに立つ影。
ゆっくりと上げられた御簾の間から、月明かりが零れる。その影が顕したのは、思い描いた人の姿だった。
苦しげにしかめられた眉に、引き結ばれた唇で、いつものような笑顔はなかった。
何がそうさせているのかも分からなくて、私はまた涙を溢れさせた。

良人さまは、何も言わず、私のその瞳をじっと見ている。
夜空色の瞳は、今夜の空の色ほど明るくはなくて、でも、どこまでも深い色を湛えている。

会いたい。
会って、思いを伝えたい。
そう思っていたのに、出てくるのは、涙ばかり。
良人さまは、見上げた私の瞳から流れ落ちる涙を親指の腹ですくう。
その温もりに、吐息を一つして、口を開いた。

「私を拐って、良人さま」
「御心のままに」
そう言った良人さまは、優しく笑みを湛えた。
ようやく見せてくれたその表情に、私は嬉しくなって、また一つ涙が零れる。良人さまは、その涙を指ですくうと、私を抱き寄せる。
その腕の温もりに、私は目を閉じた。

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