深窓の姫宮■■■12■

目覚めた時、一番に感じたのは、目の腫れぼったさ。
また泣き明かしたのだと思い、その理由を思い出し、胸が締め付けられる。
苦々しい気持ちで、ぼんやりと霞んだ視界を見渡して、そこにあるものが、いつもの調度品でない事に気付き、戸惑う。
起き上がり、御簾を上げてみる。
知らない景色。

そこで、漸く昨夜の事を思い出す。
あれは、現実だったのだろうか?それとも、夢?
これは、夢の続きなのかしら?

「良人さま」
大きく深呼吸をして、声に出してみた。

返事はない。
私に都合の良い夢ではないらしい。
では、現実?だとしたら、ここはどこなのかしら?
懸命に昨夜の事を思い出すけど、良人さまに会った事が現実だったのかさえ、朧ろではっきりとしない。
もし、会ったのが現実なら、抱きしめられた温もりが心地よくて、目を瞑ってしまって…、それからの記憶はない。
「良人さま?」
なんだか怖くなって、名を口にしてみる。
渡廊を足早に歩く音したと思ったら、すぐそこに良人さまがいた。
少し困ったように笑顔を浮かべて、御簾を上げると、私を中へ促した。
「よく眠っていらっしゃったので、まだ起きないかと」
「ここは?」
「私の屋敷です」
「良人さまの屋敷…」
「古めかしいものばかりで、姫宮には申し訳ないですが」
辺りを見回す。
確かに、置かれた調度品は、よく使い込まれているように見えたけれど、その一つ一つは洗練されて、調和がとれているように感じる。
「とても大事に使われていると感じます」
「母上のお使いになっていたものです」
「良人さまの母上さまの?」
「えぇ」
「そんな、私が使って良いものとは思えません」
「構いませんよ。母上はもういませんし、姫宮に使って頂いた方が、どんなにか喜ばれる事と思います」
気に入らなければ、別ですけど、と添えた良人さまに、そんなことはない、と首を横に振って、改めて、その調度品に目をやった。
気に入らないなんて、とんでもない。すごく素敵なものばかりだ。とても趣味の良い方だったんだろう。私など、与えられるばかりで、どんなものが良いかなど考えてみた事があっただろうか?
脇息に描かれた蒔絵に見惚れる事暫し、ふと視線を感じて、良人さまを見る。
笑顔が、さらに笑顔になったから、私は、目を瞬かせる。
「何を考えているのですか?」
「姫宮は、やはりお美しい方だなと。ただそれだけですよ」
そう言うとまた口を閉じ、真っ黒な瞳を私に向ける。その視線に耐えられなくて、また脇息に視線を戻したけど、意識せずにはいられなかった。
「俺のことは気にせず、くつろいでください」
くすくすと笑ったりなどして、こちらの気持ちなど全然理解していないのだわ。
「姫宮を見つめ過ごすことを、今日だけは、どうか許してください。ずっとそうしたかったのです」
本当に幸せそうに笑みを深めるから、どうすればいいのか。
困ったようにして、私も、良人さまを見る。
他の男をじっくりと見た事がないから、分からないけれど、良人さまは、綺麗な方だと思う。その瞳は、私を魅了してやまない。夜空色の瞳は、月のない闇の中の思い出を蘇らせる。
「それは…私も一緒です」
「え?」
「良人さまのお声だけではなく…お姿を見てお話をしてみたいと思っていたのです」
「そうでしたか。姫宮の願いを叶えることができ、光栄に存じます」
楽しそうに笑い声を上げて、良人さまは私を見ると、ふと思い出したように、そうだ、と言った。
「今夜は、月を見ましょうか」
「月?」
「えぇ。あちらの池の前からは、それは美しい月を見ることができるんですよ。三日月も望月も十六夜も…有明も。全て思い出にしましょう」
その言葉に私は瞬きを返す。
月を見る。
良人さまと。
色々な月を。
それはどういうことなのか。
今までの私たちに月なんてなかったのだから。
いつか、月の夜の良人さまは、恋をしていると言っていた。
「お嫌ですか?」
「いえ。楽しみです」
「はい。俺も」
「その前に…一つ教えてください」
「どうぞ」
「良人さま、あなたは誰ですか?」
「誰とは?」
「母さまは押し黙り、父の新院は私を伊勢にやろうとなさる。それは、どういう事なのでしょう」
「どれも、俺を過大に評価されてこそのご判断だと思います。俺は、そんな大層な者じゃありませんよ」
「答えてください。いいえ、このようになると分かっていて、あなたは私の許を訪れたのですか?」
「初めに言っておきます。どうか俺の言葉に傷付かないでください」
もう一度、いいですね、と言う言葉に、何も言わず、頷いた。
「俺と分かればどうなるかくらい、想像はついていました。あなたの身分はなおの事…その相手が俺であれば、それ以上に事が大きくなると」
「では、どうして?」
「ただ会いたかったのです。自分の立場などどうでも良かった」
「そのような…世捨て人の如き言い方をなさるのですね」
「その実、それと変わらないような身の上なのでしょう」
「北家の子ではないから?」
「それも間違いじゃありません」
「では?」
「私は、良具親王の御子です」

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